朝日新聞社の“今”

Story02 全国高校野球選手権大会

夏の風物詩から国民的財産へ。朝日新聞社の総合力で"球児の夢"の舞台を創る

"夏の甲子園"という代名詞で語られる全国高校野球選手権大会。
その存在は、もはや国民的行事といえるほど浸透しています。
朝日新聞社は日本高等学校野球連盟(高野連)とともに主催者としてこの大会を運営。
毎夏総力を結集し、高校生が創り出す"筋書きのないドラマ"を支援しています。

100年の歴史を誇る世界でも類い希なスポーツイベント

2018年に100回大会を迎える夏の風物詩「全国高校野球選手権大会」。そもそも、この大会開催のきっかけは、京都の中学校(旧制)の生徒たちの「野球大会を開いてほしい」という熱意でした。生徒たちの申し入れを受けた京都の運動部記者が首脳陣に働きかけ、当時の村山龍平社長が決断。各地域の担当者が全国の学校に参加を呼びかけ、1915年(大正4年)、初めての全国大会開催に漕ぎ着けたのです。

これまでに戦争や米騒動により中止されたこともありますが、ご存じの通りこの大会は現在も続き、"夏の甲子園"として、日本高等学校野球連盟(高野連)と朝日新聞社との主催で、毎年8月に兵庫県西宮市の阪神甲子園球場で開催しています。

主催の重責をになう朝日新聞社は、大会運営の企画から運営まですべてに携わっています。大会運営の中心となる高校野球総合センターをはじめ、宣伝部、広報部、財務本部、さらに全国の編集、販売、広告、企画事業、デジタル部門と、まさに朝日新聞社の総力を結集。それぞれがどんな役割を担い、どんな想いで"球児の夢"を支えているのか。その舞台裏を探ってみましょう。

高校野球の歴史

  • 1915年「全国中等学校優勝野球大会(第1回大会)」が大阪・豊中球場で開催 第1回大阪・豊中グラウンド。村山龍平朝日新聞社長による始球式で長い歴史の幕が開いた。
  • 1924年(第10回大会)会場が甲子園球場に変更
  • 1941年(第27回大会)太平洋戦争の影響により地区大会途中で中止(46年に再開)
  • 1948年(第30回大会)学制改革により全国高等学校野球選手権大会に名称を変更
  • 1969年(第51回大会)松山商対三沢の決勝が0-0で史上初の延長18回引き分け再試合
  • 1979年(第61回大会)簑島対星稜、延長18回奇跡の逆転劇。簑島は公立高校として初の春夏連覇
  • 1998年(第80回大会)記念大会として史上最多の55代表校で実施。松坂投手を擁した横浜が春夏連覇
  • 2004年(第86回大会)駒大苫小牧が北海道初、悲願の全国制覇。
  • 2006年(第88回大会)駒大苫小牧・田中投手と早稲田実業・斉藤投手の投げ合いで決勝戦としては史上2回目の0-0引き分け再試合
  • 2010年(第92回大会)興南が沖縄県勢初の全国制覇。深紅の優勝旗がはじめて沖縄へ
  • 2011年(第93回大会)東日本大震災を乗り越え、「がんばろう!日本」を合い言葉に開催
  • 2013年(第95回大会)毎試合抽選の復活と準々決勝の翌日に休養日を設定。前橋育英高校が初優勝
  • 2015年(第97回大会)大会生誕100年の決勝にふさわしい熱戦を制したのは東海大相模

高校野球総合センター

巨大プロジェクトの中心を担う高校野球総合センター

優勝から一夜明け、朝日新聞大阪本社を訪問した前橋育英の選手ら

夏の全国高校野球選手権大会の開催準備は、実は、約一年。大会が終わったその月末には次年度の準備がスタートするという、まさに"巨大プロジェクト"。高校野球総合センターをはじめ、各セクションがそれぞれの役割を伝統的に引き継ぎながら、プロとしての責任を持って役割を担うことで、大会の企画から運営までが行われています。

その中心となる高校野球総合センターは、高野連と連絡を取り合いながら、大会の企画や本大会の運営といった、事務局の役割を担います。大会に向けた予算編成や大会の趣旨・企画の策定、大会規定・代表校の手引きなどの作成から、メダルや優勝盾の制作(地方大会はメダルのみ)、始球式役の選定、チケット手配など様々な役割を担います。また、 メディアや地元自治会との連絡対応といった、外部窓口業務も担当。運営の要として機能します。

宣伝部

球児より1年早く"高校生クリエイター"の夏がはじまる

第95回大会告知ポスター

夏の選手権大会は、試合以外の様々な場面でも高校生が主役となります。まずは宣伝部が中心となり、大会ポスターとキャッチフレーズの公募から大会の準備が始まります。高校球児が甲子園大会本番に向けて日々汗と涙を流しているのとほぼ同時期に、"高校生クリエイター"たちの夏の戦いが始まっているのです。

2013年夏の95回大会用のポスターデザインは、2012年の初秋に応募を開始。全国からポスターデザイン約600点、キャッチフレーズには約3400点もの作品が寄せられ、その中から全国大会用や地方大会で使用するポスター3作品、キャッチ1点を決定しました。グランプリ受賞の高校生たちを、毎年、甲子園の開会式に招待しています。

「夏は高校野球一色です!」と、宣伝部のみなさん

宣伝部は、そのほかにも高校野球そのものをPRするテレビCMづくりや、大会歌を歌う歌手の選定・レコーディング、読者プレゼント用の高校野球パンフレットやグッズ、出場校決定の横断幕や懸垂幕の制作などを担当。総合センターや販売局と連携し高校野球を様々なチャネルを使ってPRしていきます。

販売局

地方大会の強力サポーターは販売局。地方独自の企画でエリアを盛り上げる

優勝を喜ぶ前橋育英高校の選手たち

夏の選手権大会は、地方大会と本大会(甲子園)の大きく2つの段階に分かれます。その地方大会で中心的役割を担うのが、販売局と販売店(ASA)。各都道府県の高野連とタッグを組み、各エリアで高校野球を支援します。

準備は地方大会の抽選会から始まります。駅や大型ショッピングモールなどに「やぐら」と呼ばれる高さ30メートル程の巨大なトーナメント表をつくり、抽選の結果をエリアの主要拠点に掲示。高校野球応援キャンペーンとして販売店や地方総局の記者とも連携し、情報発信します。地方大会の開会式の準備や段取りも、販売局がサポート。地域の販売店の協力により球場付近の大会告知用の旗やポスターを掲示したり、うちわを配ったり、大会を盛り上げるために様々な取り組みを行います。運営方法は地方によって様々ですが、地域の販売店とのより親密なコミュニケーションによって地方大会を盛り上げます。

販売局流通第1部 矢内 達也

感動の場面を支える裏方として

95回大会で優勝したのが群馬県代表の前橋育英高校。当時、販売部門で群馬大会を企画担当したのが矢内達也。オリジナルTシャツを用意し、抽選会や開会式に向けて号外やミニコミ誌を発行して盛り上げた。大会後には県内のショッピングモールで「高校野球写真展」を催し、大人気の企画となった。95回大会は、全国制覇を成し遂げたこともあり記念ボールをつくった。全国47都道府県で1カ所しか経験できない「夏」を実感したという矢内。「日本中が熱くなる"夏の風物詩"に関われることに魅力を感じます。感動の場面を支える裏方として誇りを持てる仕事です」

記者(本社・総局)・編集・デザイン

購読者に高校野球を楽しんでいただける紙面を作成

地方大会中は、各総局の高校野球担当記者は大忙し。地域紙面で試合結果を伝えるだけでなく、連載や特集などを組み、各チームの背景や注目選手情報などを取材しながら、地方大会をもり立てていきます。代表校が決定すれば、一緒に、いざ甲子園へ。真夏の熱戦を地域面で伝えます。

全国版のスポーツ面では、スポーツ部記者や編集センター、デザイン部が連携し、高校野球特集ページを企画。毎日の試合結果の詳細はもちろん、日替わりヒーローにスポットをあてた特集記事、さらに選手の声や応援団の熱気を伝えます。強豪校や注目選手の圧倒的な力、初出場校のはつらつとしたプレー、まさかの大逆転劇、1年生の大活躍など、多彩な話題を提供します。

鳥取総局 村井 七緒子

若手記者たちが独自の視点を生かした記事を

"高校野球を担当したい"という方も多いのでは? 「高校生たちに悔いのない試合をしてもらって、僕も悔いのない記事を書く」そう語ったのは当時富山総局で担当者だった高野遼。甲子園ではベンチ裏で取材し、記者席で試合を見守りながら記事をまとめた。

鳥取総局の高校野球担当、村井七緒子は別のアプローチで記事を書いた。「野球に関心のない人も読みたくなるものを書きたいと思い、2012年に野球と恋愛をテーマにした連載『恋せよ!球児』を書きました。結果、予想以上の反響があり、私自身忘れられない記事になりました」。 若手記者たちの奮闘は続く。

デジタル本部

情報発信は新聞紙面だけではありません。「朝日新聞デジタル」のスポーツ面や高校野球情報を提供する「特設:高校野球の総合情報サイト」でも情報を配信。特設サイトでは、地方予選の詳細情報もたっぷりご覧いただけるよう、年間を通じて高校野球の情報を掲載しています。

デジタル版では、デジタルならではのリアルタイム速報やツイートに加え、学校検索データベース、過去大会アーカイブなど、情報が盛りだくさん。デジタル本部の記者・企画担当者たちがアイデアを出し、様々な角度から、高校野球ファンに満足いただける情報を発信できるよう努めています。

デジタル本部ビジネス企画開発部 天野 友理香

デジタルだからできる情報発信を

デジタル本部ビジネス企画開発部は、「朝日新聞デジタル」に関係する全てのサービスの企画と運営をしている部署。そこで高校野球を担当する天野友理香は、高校野球の組み合わせ抽選会では初となる、ツイッター中継を担当した。約20分間の抽選のための事前準備が大変だったという。「先輩と2人体制だったのですが、抽選会場の電波状況を調べたり、リアルタイムで呟くための草稿を用意したり・・・。とてもいい経験になりました」

広告局

新聞紙面を広告スペースからも盛り上げる

広告局では、高校野球特集ページに連動広告を展開しています。クライアント(広告主)には、高校野球は教育の一環であることを前提に、過度な演出や企画ではなく、純粋に高校野球を応援する広告企画を提案。基本理念から逸脱することない範囲で「営業活動」を行っています。期間中は高校野球担当の社員を置き、掲載広告の調整などの誌面編成を行っています。さらに、本紙以外の別刷りや号外などの広告も担当。代表校の号外をスタンドに置いたり、各高校に発送したりしています。

また大会期間中は、大阪本社広告局、販売局の社員を中心に「銀輪隊」とよばれる運営サポートチームを結成。文字通り自転車に乗って、球場周辺の警備や救急対応に当たっています。

広告第2部 中村正樹 / 広告第2部 橋本実希子

新しい広告展開を模索

「高校野球は朝日新聞社にとって非常に大きなコンテンツ。高校生の健全なスポーツの妨げにならない企画を立てる難しさはありますが、その中で、常に新しい展開を模索しています」と広告局の橋本実希子は語る。猛暑の中で闘う選手や応援する方々のための熱中症対策をもりこんだ企画など、新たな取り組みも。「広告局は決まった仕事をしているわけではなく、アイデアを出してそれを実現していく仕事。アイデア次第で、幅広く提案できるのが魅力です」

企画事業本部

本大会の式典を取りしきるのが企画事業本部

フェスティバルホールでの抽選会の様子

本大会の抽選会、開会式リハーサル、開会式、閉会式、そして大会期間中の抽選を仕切るのがイベント運営などに精通している企画事業本部(大阪企画事業部)。その準備は、抽選会や開会式で毎年ご協力いただいている、市立西宮高校(開会式・閉会式のプラカード嬢・抽選会のアシスタント業務も担う)に挨拶に行くことから始まります。式典を彩る、入場行進の先導、始球式、吹奏楽や合唱、式典の司会進行を担うのは全て高校生。彼ら彼女らが輝けるようバックアップします。

開会式当日は、事前のリハーサル通り、高校生たちが順番に入場行進を行えるよう仕切ります。華やかな入場行進の裏で、様々な交渉・段取りを行い、滞りない式典を執り行うのが企画事業部の役割です。

企画事業本部スポーツ事業部 仲川 崇

大阪企画事業部で3年間、選手権大会のキャップを担当。特に印象に残っているのは88回大会だと語る。それもそのはず、この大会の決勝戦は、駒大苫小牧・田中投手と早稲田実業・斉藤投手の球史に残る投げ合いで0-0延長15回引き分け再試合。決勝戦の再試合は51回大会以来37年ぶりのこと。予期しなかった展開で、吹奏楽や合唱、プラカード担当などの高校生を急遽翌日も手配しなければならず、大慌てでスケジュールを調整することに。「歴史の現場に居合わせた感のある貴重な経験」と当時を振り返る。「スポーツに携わりたい人には魅力のある仕事。貴重な経験ができる仕事です」

大会の方向性を決め、円滑に運営するのが総合センターの役割

まずどんな大会にするのか?を考える

最初にすることは、「その大会をどんな大会にするのかを考えること」。大会の方向性を決め、予算編成をすることから始めます。例えば、記念大会をどうするか? 2014年には甲子園球場誕生から90年、2018年には100回記念大会を迎えます。それぞれの記念にあわせ、どんな企画を展開するのかを高野連と話し合いながら進めます。

大会の準備・運営は、実は、特にセンターが指示し、統括しているわけではありません。各部局がそれぞれの役割を伝統的に引き継ぎ、連携しながら行っているのです。この運営方法も、朝日新聞社らしさなのかもしれません。それぞれが責任を果たすことで、高校球児の夢の舞台を支えているのです。

球児たちにも、高校野球ファンにも新鮮な驚きを

2013年の95回記念大会は、単なる5年ごとの記念大会ではなく、100回大会へのスタートと位置づけました。次の世紀に向けて、大会をさらに公平でスリリングなものにするための第一弾として、準決勝前に「休養日」を導入するとともに、全試合抽選も復活させました。「次の対戦相手はどこだろう」というドキドキ感を高めながら、試合間隔にも配慮。地方大会からずっと炎天下で戦う高校生たちも、さすがに大会終盤は疲労が蓄積しています。過去にも準々決勝までは接戦が続いたのに準決勝・決勝で大差のゲームになったりすることもありました。それを考慮し、準々決勝の翌日を「休養日」にしたところ、準決勝・決勝とも1点を争う好ゲームになり、大会も盛り上がりました。

「がんばろう!日本」で日本が熱くなった93回大会

私がセンター長になって最も忘れられないのは、2011年(93回大会)です。この年の3月、東日本大震災が発生し、日本中が深い悲しみに包まれました。様々な催しが自粛される中、夏の甲子園はどうするのか? 開催すべきなのか、開催できるのか? 被災地で地方大会ができなければ選手権大会を開くことができません。でも「高校球児たちの力は、日本を明るくする一歩になるのではないか?」という考えのもと、『がんばろう!日本』を合い言葉に岩手、宮城、福島の3県を支援し、環境を整えることから始めました。募金活動も積極的に行った結果、この活動が全国の高校生に拡がり、開催に向けた大きな後押しとなりました。

夏の甲子園を世界文化遺産に

夏の甲子園を世界文化遺産に

選手権大会の収益は、毎年の大会を運営するだけでなく、日本高等学校野球連盟を通じて高校野球の普及・発展に活用されています。高校生のための野球規則解説や練習中や試合中のけが予防のDVDを制作し、全国の加盟校に配布。さらに全国の若手指導者の育成や指導者間のネットワークづくりもその一環として行っています。

また大会運営は、審判団をはじめたくさんのボランティアに支えられています。こうした取り組みは「高校スポーツのモデルケース」と評価されるほどです。野球発祥の地・米国のルース駐日大使(当時)は「日本を知るなら、高校野球を見るべき」と勧められ、2010年に開会式に参加。そのときこの"夏の風物詩"を見て驚きの声を上げたそうです。

"超満員の大観衆"の声援を受けて高校生たちが躍動する舞台、それを支えるボランティアたち。それは、文化を超え、国民的財産ともいえるものではないでしょうか? 私は「高校野球を世界文化遺産に」と思っています。これからも朝日新聞社は、この国民的財産を守り、発展させていくために活動を続けていきたいと思います。

プロジェクトメンバー

高蔵 哲也 高校野球総合センター センター長

記者として朝日新聞社に入社。最初の配属先は阪神支局(兵庫県西宮市)。甲子園球場の目の前で暮らしていたという。その後、東京本社の運動部に異動したのちも甲子園担当に。「高校時代は野球に明け暮れていましたが甲子園は幻だった。それが、こんな形で甲子園とかかわるとは不思議なもの」。静岡総局長などを経て、2010年より現職。球児やファンたちにもっと感動を提供できるよう尽力する。

夏の全国高等学校野球選手権大会 <主な役割>

図:夏の全国高等学校野球選手権大会 <主な役割>