先輩の声

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特別報道部 堀内 京子 国際協力研究科修了 1997年入社

Profile

出身:愛知県
気候が穏やかで、人も多すぎず、海も山も遠くないところ。

中・高・大のブカツ&サークル:
中学 / バスケットボール
高校 / バスケットボール
大学 / 体育会馬術部

ひとこと:学生時代、仲間に励まされながら、12頭の馬、4頭の犬、たくさんの猫たちと過ごしました。

職歴・キャリア

1997年4月:入社

同年:山口支局 県警、市政担当 

1999年5月:神戸支局 県警、県政、震災担当

2001年9月:大阪本社経済部 流通、金融、製造業担当 

2005年4月:東京本社経済部 国土交通省担当

2007年1月:特別報道チーム(現・特別報道部)

2008年4月:東京本社経済部 電機産業担当

2009年9月:文化くらし報道部 生活グループ

2013年4月:特別報道部

2015年4月:経済部(経済)

入社動機

大学のゼミの同期が2人、新聞記者になり、それまで縁がなかった新聞社が急に身近になりました。開発援助に関わる仕事がしたくて大学院に進学したころ、インドやパキスタンの記者たちと知り合う交流会があり、彼らの使命感も魅力的でした。また、新聞社は当時としては年齢制限が緩かったのも利点でした。留学費用をためて途中でやめようという魂胆もありましたが、続けるなら途上国や紛争地域での取材をしたいと考えていました。

オフの過ごし方

公園散歩とコケ観察、ドジョウの世話

座右の銘・好きな言葉

「人生、愛とロマン」
父の教えです。

新入部員にひとこと

新聞記者の仕事に関心を持ってくださってありがとうございます。16年前を振り返ると、私はかなり青かった。朝日新聞に入りさえすれば、理想社会に近づくような仕事ができると思っていました。学生の方にとっては、やはり社会人になってからが様々な社会の(朝日も含め)現実を見るときだと思います。その現実を知ってなお、前進していける熱量が自分の中にあれば大丈夫!もし、あなたが結果的に新聞記者を選ばなかったとしても、一度でも考えてみたということが、これからの人生であなたの中に何かのひっかかりを残してくれると思います。いつか、お互い新聞記者同士としてか、別のどこかで、お会いしましょう。

「調査報道」でつながる世界の記者仲間

特別報道部での仕事:隠れている事実を掘り起こし、問題提起をする「調査報道」を担う

気づかれずにいたり、時には政府や大企業により意図的に隠されたりしている事実を掘り起こし、新たな問題提起をする「調査報道」を担う部署です。伝統的なスクープ記事だけでなく、国内外の報道機関との連携や、ビッグデータを使った報道など新しいことにも挑戦する、記者たちの"研究開発部門"でもあります。社会部、経済部、政治部などや、他のメディアや他業種で、10年以上のキャリアを持つ記者たちが多く集まっています。過去の成功体験(私のではありませんが…)にしばられず、新しいことに挑戦しろ、とハッパをかけてくれる上司や、摩擦を恐れず、多彩な経験を持つ同僚に囲まれて、テーマごとにチームを組んだり、あるときは一人で掘り下げていったりします。

今やっていることの一つは、あるテーマについてひたすら資料を集め、関係ありそうな人を探して話を聞きにいき、現象との関連を探ることの繰り返しで、地味な毎日です。でも、その先にはどうしても記事にしなければと思えることがあるので、毎週のように一面に載る記事を書くのとはまた違う刺激があります。調査報道では紙面化までこぎつけられないこともありますが、失敗も無駄もひるまず挑戦しようという気にさせられる部です。

印象に残っていること:調査報道に携わる世界のジャーナリスト国際会議に参加

調査報道は今、世界的にも注目されています。グローバル化は取材テーマにも影響を与え、調査報道の国際連携も盛んになってきています。最近印象深かったのは、ブラジル・リオデジャネイロに世界中から800人が集まって開かれた、調査報道に携わるジャーナリストたちの国際会議(GIJC2013)に参加したことです。犯罪組織に脅迫され、同僚が殺され、それでも麻薬報道を続けている中米や東欧の記者、故郷にとどまって取材を続けるシリア人記者、当局の圧力を受けながらもしたたかに発信し続ける中国やマレーシアのジャーナリストたちなどが招かれ、分科会や懇親会でその経験を話し、参加者たちが情報交換をしました。調査報道の存在意義をだれより感じている彼らの使命感とユーモアに触れ、その困難な取材活動をサポートするNGOや国際機関で働く元記者たち、多くの報道志望の学生とも出会い、それぞれの場所での活躍と無事を祈って別れました。どの地方でどんな部署で取材していても立派な調査報道があり、日本をベースに取材する日本語の新聞記者でも、平和や人権を求める仲間が世界中にいるんだと確信できた、貴重な4日間でした。

現在の仕事:経済部で、連載企画「にっぽんの負担」を担当

数年ぶりで経済部に戻り、連載企画「にっぽんの負担」取材チームで税金や、税金以外の“負担”を誰がどのように担っているのか、について取材しています。

第一シリーズの「税の現場」では、子どもの貧困と教育格差を、アベノミクス下の税制が拡大している様子を取り上げました。海外に投資用マンションを持ち祖父母から1500万円の非課税の教育資金をもらえる子どもの家庭、生活保護ぎりぎりでダブルワークをするシングルマザーの暮らし、風俗エリアに作られた24時間保育園・・・。問題意識だけで記事を作らず、現場を歩き回って聞いた話、専門家や行政への取材、取材チームでの議論が、やがて一つの記事にまとまっていくのが今の仕事の魅力の一つです。

特別報道部時代に取り組んでいたテーマも、他の部署の記者たちや社外とのネットワークを太くしながら、引き続き取材しています。政治権力の問題には経済や財界も深く関わっているからです。

私の修業時代:基本の立ち位置を考えさせられた、先輩のひとこと

入社するとまず、地方の総局に配属になると思います。私は配属されて3日目、ようやく初原稿を書かせてもらえることになりました。デスクの注文は「近くのお寺の境内に咲いている花の記事を、写真つき30行で書いて」。勇んでお寺に行くと、広い池の中に白い花がぽつん、ぽつんと咲いているだけ。全然きれいではありません。一応お寺の人の話を聞いて、写真を撮って支局に戻り、「この原稿は書けません。記事を読んで、花を見に行く人がいたら申し訳ないと思います」とデスクに言いました。デスクが何か言うより先に、先輩記者がすっ飛んできて「ばかやろう!俺たちはこうやって少ない人数で毎日、紙面を作ってるんだ!好きなことだけ書きたけりゃフリーになれ!」と言いました。入社直後でなんとなく、ジャーナリストになったような気でいた私に、新聞っていろいろな仕事でできているんだという基本と、フリーの記者が"好きなこと"を書くために払っている犠牲について、考えさせてくれた忘れられない出来事です。

仕事上のモットー:「一人でも言う。みんなが言っても言わない」

好きか嫌いか、いいか悪いかの自分基準をしっかり持ち、できるだけそれを表明することを心がけています。立場がある人だから、世間で評価されている人だから、上司だから、ということで遠慮することもなく、慣習的にこれまでつきあいがなかった組織だから、悪く言われている人だから、などの理由で避けることもしないようにしています。意識的に"だれからも好かれる記者""愛され記者"を目指さなくなったのは、入社してようやく5年ぐらいたった頃だったと思います。取材相手でも組織の中でも、本当に信頼できる人に出会い、変化を生んでいくためには、空気を読まずに自分の色を出していくことが必要だと思うようになりました。

これから:いつか調査報道のネットワークを作り、若い人たちのサポートを

これまでの経験が総合的に役立ち、学生時代に描いていたような、平和で民主的な社会を作ろうと奮闘する人々につながる部署に配属されたのは幸運でした。今は与えられた機会を無駄にしないよう、ただコツコツ地道な作業を積み重ねて記事を書いていきたいと思っています。記者であり続けることは、最大のチャレンジです。いつかは新聞、放送、フリーのジャーナリスト、NPOなどで、調査報道のアジア地域のネットワークを作ることに関わって、私が社内外の先輩や取材先からもらってきたような精神的なサポートと環境を若い人たちに伝えられたらいいなと思っています。

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