先輩の声

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徳島総局 伊藤 あかり 教育学部社会学科卒 2009年入社

Profile

出身:北海道
試される大地。どんと来い!という感じが好きです。

中・高・大のブカツ&サークル:
中学 / 陸上部
高校 / 弁論部
大学 / お散歩サークル

ひとこと:先輩に気に入られるための太鼓持ち技術を学びました(笑)。

職歴・キャリア

2009年4月:入社

同年:奈良総局 担当:県警、遊軍

2012年4月:徳島総局 担当:県政

2014年より 編集センター(大阪)

入社動機

高3の夏、地元の駒大苫小牧が甲子園で初優勝を決めたのをテレビにかじりついて観戦しました。テレビを通して見た同級生の頑張りに、ひたすら感動。大学受験を控える私の励みになりました。あの時、グラウンドから私を励ましてくれた彼らの気持ちを知りたくて、球児の取材ができる朝日新聞社に入社しました。

オフの過ごし方

長期休暇のたびに、こつこつとお遍路しています。閏年に逆打ち(反対まわり)をすると、御利益が3倍になると聞いて、2012年から始めました。あとは徳島の12箇所!88箇所全てまわり終えて結願するぞ!

座右の銘・好きな言葉

「全ての人を満足させようとしたら、一人も熱狂させられない」

新入部員にひとこと

こんなに楽しい仕事を私は知りません!本当に最高だよ!むおおー!これ以上書くと暑苦しくなるので、このへんにしときます!!おすすめ!

「地方こそ最先端!」地方の特派員としてツイッターや地域版でひと味違う記事を発信

総局での仕事:過疎や高齢化など、社会の課題がいち早く見える地方から、未来を考える

総局員の仕事を一言で言うと、地方の特派員。もちろん入社前は都会を離れることへの不安もありました。女性にとって若くて美しい(?)時代を地方で過ごすのはそれなりのリスクですしね・・・。が、それを差し引いても地方、超楽しい!47都道府県全部まわってみたい!と今では思っています。

徳島にある人口6300人、65歳以上が4割の過疎の町のNPO理事長がこんなことを言っていました。「ここは、未来が見える場所。過疎、高齢化など地方の問題は、10年後の日本、30年後の欧米、50年後のアジアの課題になる。もし今、この課題に対する答えが生まれたら世界モデルになる」。徳島は全県に光回線が張り巡らされているのですが、それに目をつけたNPOが2010年、都会のIT企業のサテライトオフィス(SO)の誘致を始めました。はじめは、町もこの現象に懐疑的でした。SOの利用者は数週間の短期滞在なので、人口が増えるわけではない。落とすお金も滞在中の飲食費、入湯税とたかがしれているからです。ですが、その動きはメディアを通じて全国に広がり、今では現地雇用も生まれ、定住者も多くいます。結果的に人口社会増を実現したのです。どこよりも先に課題が見える地方から、未来を考える。地方こそ最先端。そんなことを日々実感しています。

嬉しかったこと:フォロワー1000人突破を記念して、総局長の手料理でオフ会を開催

ツイッターの"中の人"もやっています。朝日新聞では全総局がツイッターのアカウントを持っており、徳島も2012年の夏から開始。日々のたわいもないできごとがつぶやきの中心で、その日食べたものをつぶやく「記者メシ」は人気コーナー(?)となり、全国の総局ツイッターに広まりました。そのほかにも、取材の裏話ツイートも人気のようです。「天空の城ラピュタの悪役『ムスカ大佐』が児童養護施設にランドセルを贈った」という記事で、新聞では削られてしまったムスカ大佐が送った手紙の全文をツイッターで公開。すると、当時のフォロワーの5倍強の3000リツイートを記録しました。

徐々にフォロワーが増えてくると、今度はフォロワーに会ってみたい!と思うようになり、1000人突破のお祝いを兼ねてお花見オフ会を開きました。紙面にもオフ会の広告を出し、総局長が手料理を用意するなど準備は万端。だけど、当日、本当に人は集まるのか不安でした。しかし、蓋を開けてみれば「記者さんと喋ってみたかったー」とたくさんのフォロワーが参加してくれました。声をかけられちょっぴり有名人気分も味わい(笑)とっても楽しかったです。総局の場合、デスクと総局長さえ説得すれば何でもできるので(たぶん)、新しいこともやりやすいですよ。さて!2000人も突破したので、次はバーベキューオフ会をするぞー♪

初任地での光景:自分のルーツである村を取材、その一年後、災害復旧を伝える駐在員として滞在

私にとって初任地の奈良県は特別な場所でした。奈良市から車で3時間ほどの山奥に十津川村という日本一広い村があります。赴任が決まった時に母親から、自分のルーツは十津川村にあると教えられました。

明治22(1889)年、十津川村は大水害に見舞われ、住む場所を失った町民約2500人が北海道に移住しました。その移住者の中に、高祖父もいたのです。初めて訪れた高祖父の出生地・十津川村今西地区は、5軒8人が暮らし、最年少でも62歳の限界集落。お墓参りをした後に「また遊びにきなよ」と見送られた時には、いつまで出迎えてくれる人がいるのかと寂しい気持ちになりました。今西の人たちの情報や史料をもとに、移住先の北海道新十津川町にも出張し、高祖父の足跡を連載としてまとめました。

その取材から約1年後の2011年9月。十津川村は台風で死者・行方不明者計12人の大きな被害に遭いました。避難指示が出ていた今西に久しぶりに戻ると、地割れや倒れた木々で荒れ果てていました。被災後、約3カ月間駐在することになるのですが、今西の人たちにはご飯をごちそうになったり、愚痴を聞いてもらったりとお世話になりました。現在も仮設住宅での生活が続いていると聞きます。故郷を捨てる悲劇が再びないようにと祈るばかりです。

ちなみに、父親のルーツは徳島県とのこと。なんたる運命!これから調べていきたいと思います。

仕事上のモットー:新聞の「型」を守りながら、自分らしく面白く書く

過去記事や他紙と同じような書き方にならないように気をつけています。新聞記事は、ある程度「型」があり、それにあわせて書いた方が読みやすいこともあるのですが、もう一工夫するようにしています。例えば、自治体のゆるキャラを決めるための投票を呼びかける記事。普通は投票場所や日時などを書いた「お知らせ原稿」にするのですが、私は「ゆるキャラを見る目を磨こう!」と、有名キャラの担当者、着ぐるみ制作会社、ゆるキャラジャーナリストの「専門家」に話を聞き、どういうキャラが、自治体のキャラにふさわしいのか、人気がでるのかを分析してもらいました。他紙は30行でサクッとまとめたネタを、私は70行の大展開。「くだらないけど面白かった」と読者から言われた時はニヤリとしてしまいました。同じ会見を聞いても、記者によって書き方は様々。できるだけ、前年よりも、他紙よりも面白く書けるよう知恵を絞っています。

現在の仕事:大阪編集センターで、編集者に。プライベートと記者の経験を生かした紙面づくりを

記者から編集者になりました。現在、大阪編集センターという記事の価値判断や、見出し、レイアウトをする部署にいます。

自分の担当面の締め切りが過ぎると手を出せなくなるので、仕事はグワーと集中、キュッと終えることができます。自分の予定も立てやすく、ワーク・ライフ・バランスが充実しています。

ライフで得たことが、ワークに還元されているなあと思うことも多いです。

この部署に異動してから、ポールダンスを習い始めたのですが、ポールダンスの魅力を「withnews」で配信したところ6万ビューと好評をいただきました。

また、現場の記者から離れたことで見えたこともありました。

同業者でも取材先でもない人たちと接する機会が増え、いかに新聞が読まれていないかを強く実感。若い人たちに新聞を手にとってもらう機会を増やそうと、インスタグラムと新聞がコラボした企画を提案したところ、他部署の先輩たちの協力もあり、新聞週間にあわせて実施することができました。

まだまだ半人前ですが、記者と編集者の両方を経験した自分だからできることはないか模索中です。

これから:"まじめにふざけた記事"で、読者をホッと和ませたい

一流の"箸休め記者"になりたい!(笑)。政治、事件、スポーツ、文化……。朝日新聞のメイン記事を読んだ後に、ふっと頭を休められるような記事を書くことが目標です。

そんな私の原点、初めて書いた県版アタマは、奈良の女子高生の制服のスカートが長いことが気になり、理由を探った「奈良の女子高生はロンスカブーム?」。校則に従順説やお嬢様志向説などを展開し、最後は男子高生の「やっぱミニスカが良いっす」で締めるという、なんとも社会性のない記事。その後も、奈良公園の鹿がどこまで行くかを朝5時から尾行したり、徳島では妖怪コナキヂヂの鳴き声を求めて山奥をさまよったり。真剣にふざけてきました。

特ダネもとれず、事件記者としては劣等生で、落ち込んだこともありましたが、今はこういう記者がいてもいいのかなと開き直っています。制約が少ない地域報道で記者をできる間に、これからも真剣にふざけた記事を書きまくりたいと思います。

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