先輩の声

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科学医療部兼福島総局 木村 俊介 理学部理学科卒 2002年入社

Profile

出身:和歌山県
「近畿のおまけ」という自虐ギャグがあります。正調の和歌山弁には敬語というものがあまりないようです。敬意は持っているのですが。

中・高・大のブカツ&サークル:
中学 / 陸上競技部
高校 / 陸上競技部
大学 / 軽音

ひとこと:大切なことは「その瞬間の勢い」だと感じたことでしょうか。

職歴・キャリア

2002年4月:入社

同年:福島支局員

2005年4月:岐阜総局員

2007年5月:名古屋本社報道センター員(社会)

2008年4月:大阪本社科学医療グループ員

2011年9月:福島総局員

2013年4月:東京本社科学医療部員兼福島総局員 福島第一原発取材担当ほか

2016年5月:山形総局次長

入社動機

研究者になりたいなとぼんやり思っていました。ですが2浪に2留。さらに「一人前になるなら学位が必要」と先生に言われ就職活動を考えました。朝日新聞はかつて「科学朝日」という雑誌を出していました。ですが、就職活動を始めようという矢先に、休刊になってしまいました。これは社の幹部に「復刊せよ」と直訴するチャンスと考えました。できれば「自分を採用して復刊を、しかも担当者に」と。今思うとほんまにアホな学生やったなと思いますが、本当に軽い気持ちでした。実は今も野望として持っています。

オフの過ごし方

申し訳ありません。休日は寝てばかりです。あとは音楽を聴くことくらいでしょうか。

座右の銘・好きな言葉

「人間万事塞翁が馬」 心配も安心もしない。

新入部員にひとこと

気をもんだり、焦ったりすることが多いかも知れません。自分もそうでした。何をしたらいいのか分かりませんし、エントリーシートなるものに何を書けばいいのかよく分かりませんでした。今になると、正直に、陽気にいたことが大事だったのかなと思います。科学医療部では、元気のいい新人の登場を期待しています。

誰も考えていなかった状況が進む福島。手探りの中でも伝えるべきことはまだまだある

科学医療部 兼 福島総局での仕事:科学の視点から、福島第一原発事故のその後を取材

科学医療部はその名の通り、科学と医療について取材をしています。ノーベル賞や原発、地震や産業技術、医療現場の最前線や、研究費の不正まで。ネイチャーやサイエンスといった有名どころの科学誌に掲載される論文の成果も伝えます。大学で言うと「理系」の研究者が取材対象でしょうか。

その中で、事故を起こした福島第一原発の後始末の作業や、福島での環境回復について、というあたりを主に担当していました。第一原発は、ただでさえ不安定な施設です。日々起きる作業中のトラブルはもちろんのこと。ため続けている汚染水は今後どうなるのか。溶け落ちた核燃料をどうやって取り出すのか。建屋の爆発で出た高線量のガレキの処理はどうするのか。第一原発の周辺に目を向けますと、東日本に降り注いだ放射性物質は今後どうなっていくのか。環境などへの影響はあるのか。誰も考えていなかった状況が進んでいます。何がいったいどうなっているのか、手探りの状態ですが、伝えなくてはいけないことはまだまだたくさんあると思います。

印象に残っていること:「いい記事とは?」を考えさせられ、背筋が伸びた一枚のハガキ

2011年3月の東日本大震災、原発事故から半年後、9月に大阪から福島に異動しました。その際の引っ越し通知に「福島に参ります。いい記事を書いてきます」と書いた覚えがあります。数日後、知人から届いた返信には「いい記事ではなく、地元の人が知りたい記事を書いて下さい」とありました。まだまだ原発事故の行方が分からぬ時期。いきなりの避難指示で住民の方もほとんど一時帰宅できない状態でした。

文面を見て背筋が伸びました。自分が通知を書くときに漠然と思っていた、いい記事って何だったんだろう。気負っていたのかも知れません。

誰のための記事なのか、何を伝えようとしているのか。当たり前のことですが、その基本を心に留めておきたいと思いました。

私の修業時代:先輩に教えられた、地元の街と人に溶け込むことの大切さ

新人のころのある夜、自宅にたどり着くと先輩から電話がかかってきました。「何をしている?」と問われ、ご飯を炊こうとしていると答えると、いきなり怒鳴られました。「お前が一人で自炊をして誰が喜ぶのか。街に出て飲みに行け。街の人と一緒に飯を食え」と。新聞記者は、その街のニュースを追いかけて仕事をしています。その街にお世話になっているということです。地元の飲食店で飲んで食べて、地元の人と仲良くなれ。そして給料を地元に還元せよ、という趣旨でした。

今思うと、街のことを隅々まで知るために少しでも努力をしろ、という叱咤だったかと思います。あちこち異動や出張の多い記者生活です。できるだけ自分が住んでいる街を歩いて、その街のいいところを探そうと思っています。そこから仕事のとっかかりや、いい発想が浮かぶことを期待して。

仕事上のモットー:科学分野の複雑な話を正確にかつ分かりやすく書く

科学分野の記事は、小難しい話を限られた行数で説明します。例えば物理の記事では、ヒッグス粒子とか何とか。原発事故で言いますと、放射性物質がどうしたこうした。複雑な話ばかりで、そもそもというところから記していきますと、字数がいくらあっても足りません。

ですが、あれこれ書くと、「長い」。そうかと思って端折ってしまうと「さっぱり分からん」。ざっくりと単純さを目指すと、厳密さが失われてしまうこともあります。

日々悩みながらですが、正確さと分かりやすさの両立を目指したいと思っています。

現在の仕事:取材の最前線、山形総局にて

2016年5月からは山形総局のデスクとして、記者たちの原稿をチェックしたり、企画を考えたりしています。朝から晩までパソコンに向かう日々で、入社以来初めて、規則正しい生活を送っているのかもしれません。とはいえ「雨が降ってきましたよ」と駆け込んでくる記者の言葉で、その日の天候の移り変わりを知る状況はいかがなものかと自分でも感じています。

5月に山形に来て改めて感じたのは、ニュースはどこにでもあるという当たり前のことでした。総局の記者の原稿を読みながら、「おお、そんな法律があるのか!」「そういう見方も!」などと勉強し直している気分でいます。

総局は取材の最前線であるとともに、成長の場でもあります。もちろん、私の成長の場でも。特に若手の記者には地元で起きた出来事をできるだけ丁寧に取材してほしい。その積み重ねの中で読者の心に残る記事が出てくればいいなと思っています。

これから:外国語を自在に操り、英語の科学論文も不自由なく読めるように

チャレンジと言うと笑われるかも知れませんが、外国語を自在に操れるようになりたいなと思います。例えば、英語で書かれている科学論文をすらすら読んでいる同僚を見ると、心からうらやましいなと。時間を見つけて何とかしたいと思うものの、これがなかなか。怠慢なだけでしょうけれども。ちゃんと学生時代に勉強しておけばよかったなと後悔しています。

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