先輩の声

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販売局首都圏第2部 小林 元 第一文学部総合人文学科卒 2008年入社

Profile

出身:東京都
東京都国分寺市は、都会から見れば田舎、田舎から見れば都会。バランス感覚抜群です。

中・高・大のブカツ&サークル:
中学 / サッカー部
高校 / 少林寺拳法部
大学 / 学園祭運営スタッフ

ひとこと:それぞれ、挨拶の大切さ、廻し蹴りの仕方、お酒の飲み方と吐き方、を特に学びました。

職歴・キャリア

2008年4月:入社

同年11月:販売局 販売第2部 神奈川南部担当

2009年9月:販売局 首都圏第1部 多摩東部担当

2010年4月:販売局 東日本第2部 秋田県担当

2012年9月:販売局 首都圏第2部 横浜南部担当

2014年より 販売局 首都圏第1部

入社動機

新聞社の社員は様々な職種があるので、その点に最も魅力を感じました。その中で朝日新聞社を選んだ理由は、朝日新聞しか読んだことがなかったからです。

オフの過ごし方

休日は昼寝をして過ごすことも多かったのですが、最近子どもが生まれたので、子育て勉強中です。

座右の銘・好きな言葉

座右の銘は「臨機応変」、好きな言葉は「昼寝」です。

新入部員にひとこと

元気が一番ですので、気負わず、マイペースを保って、決して無理をしないでください。体調管理には気をつけてください。適度な昼寝は効果的です。

多くの人との出会いが自分を成長させる。ASAと連携しながら、ひとりでも多く朝日新聞のファンをつくる

現在の仕事:いろいろな人との出会いが、この仕事の魅力

販売局は、新聞社の経営基盤を支える販売収入を確保する重要な部署です。販売店(ASA)の業務支援をしながら全国の戸別配達網を維持するとともに、ひとりでも多くのお客様に朝日新聞のファンになっていただくにはどうすればよいか、日々考えています。

私は外勤の担当社員として、横浜市の南エリアを担当し、36店のASAを定期的に訪問しています。ASAは本社の子会社ではなく、大切なお取引先です。別々の独立した会社ですので、それぞれに経営者である所長さんがいて、マーケットの状況や経営内容は全て異なります。ASAの業務をより良くするための経営指針や、売上増のための施策など、所長さんと現場で様々なことを話し合います。月に数回開かれる会議では、本社の方針や業務連絡を伝達したり、朝日新聞をPRする宣伝イベントやキャンペーン企画について話し合ったりします。

仕事の魅力は、いろいろな人との出会いです。担当するエリアにおける所長さんやASAの従業員さんはもちろん、編集の記者や関連会社の方など、仕事をする中で本当に多くの出会いがあります。様々な主体と交渉、調整しなければならないのは大変ですが、自分の成長につながりますし、責任がある分、やりがいもあります。

自分を変えるような仕事:なんとしても新聞を届けるのだという全員の思い

東日本大震災が発生したとき、私が担当していたのは秋田県。秋田県は、地震や津波による直接的な被害はほとんどありませんでしたが、停電や道路の通行止めによる間接的な被害は大きく、新聞発行と輸送は困難を極めました。

あの日、私は東京の本社で仕事をしていました。震災発生後は、所長さんの安否確認に追われながら、12日付の朝日新聞を秋田県のお客様に届けるために寝る間なく奔走しました。秋田県に配られる新聞を印刷している弘前工場は停電のため稼動できなくなり、高速道路は全て通行止めになりました。急遽群馬の工場で印刷した新聞が、一般道を走ったトラックによって秋田県の拠点に運ばれたのが朝7時。自己判断で臨時の輸送ルートを決め、現地の輸送会社さんや所長さんに連絡。ASAに新聞が到着する頃には正午を回り、最後の配達が終わったのは夕方になってからでした。しかし、12日付の朝日新聞を県内の9割以上のお客様にお届けすることができ、「来ないと思っていたのに、朝日新聞が届いて感動した」というお声を多くいただきました。

普段は通らないルートでも確実に新聞を輸送して下さった輸送会社の皆さん。新聞の到着が遅れても、万全の体制を整えて待っていて下さったASAの皆さん。未曾有の緊急事態にも関わらず、臨機応変な対応で乗り切ることができたのは、現場の全ての方々によって朝日新聞の戸別配達網が支えられているからなのだと、強く再認識しました。

忘れられないこと:ASA気仙沼のH所長が「ずっと新聞を待っていたんだ、新聞を配ろう」と

被災地応援のため、新聞や救援物資を積んだレンタカー

震災直後の数日間、被災地に現地応援に入ったことが忘れられません。

宮城県担当に代わり、まだ安否が確認できていなかったASA気仙沼のH所長を探しに気仙沼市に行ったのは、3月16日でした。ASA気仙沼の店舗は倒壊し、輸送網が寸断され、新聞が届けられない状態になっていました。避難所になっていた気仙沼市役所で、奇跡的にH所長と面会を果たすことができました。H所長はご高齢で、避難所生活の疲労の色が濃かったため、すぐに岩手の一関市まで避難し、ゆっくり休むことを提案しました。しかし、H所長は私に「ずっと新聞を待っていたんだ」「新聞を配ろう」と言うと、私がレンタカーに積んでいた200部ほどの朝日新聞と救援物資を、避難所の皆さんに配り出したのです。所長さんの魂というか、信念というか、熱さを感じずにはいられませんでした。

また、こちらも輸送網が途絶えてしまった陸前高田と大船渡では、盛岡の総局から毎日避難所に新聞を届けに回りました。避難所に新聞を持っていったとき、多くの方から「ありがとう」と言われ、新聞が必要とされることへの喜びと、自分の仕事へのやりがいを感じると同時に、被災地の惨状を目の当たりにし、衝撃を受けました。人生観が変わりました。

あのときの出来事を、私は生涯忘れることはないでしょう。

仕事上のモットー:「人の話を、目を見てしっかり最後まで聞く」ということ

月並みかつ基本的なことですが、人の話を、目を見てしっかり最後まで聞くことを心掛けています。
ASAに伺って所長さんと打ち合わせをする際は、自分が言いたいことだけを話して終わるようなことは絶対しないように気をつけています。まずは所長さんの話にじっくりと耳を傾け、思いや悩みを共有することを大切にしたいと思っています。聞くことに専念しすぎて、次の予定の時間を過ぎてしまうこともあるので、気をつけなければいけませんが・・・(苦笑)

これから:業界の改革をしたいという野望

誤解を恐れずに正直に申し上げると、業界の状況は非常に厳しいと言わざるをえません。先輩方の努力の歴史があって現在がありますので、過去を否定することは決してしてはいけないと思いますが、変えなければならない点も多くあると感じます。もちろん、変えてはならない大切なこともあります。

「是々非々」で業界の改革をしたいという野望はありますが、まだまだ私は修行が足りません。まずは現場経験をもっと積まなければと思い、日々勉強しているところです。

何か抽象的な話になってしまいました。

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