先輩の声

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政治部 松村 愛 文学部外国語外国文学科卒 1996年入社

Profile

出身:山口県
小学校入学前まで山口に住んでいました。「あまちゃん」に出てくる南三陸鉄道のような1~2両編成の列車が走っているようなのどかな田舎ですが、自然とおコメ、おいしい水が自慢です。

中・高・大のブカツ&サークル:
中学 / 吹奏楽部でパーカッション
高校 / バスケ部、友人とバンド活動
大学 / ESS(英語でディスカッション)

ひとこと:福岡社会部に勤務していたとき、楽器演奏が趣味の同僚とバンドを結成。仕事後の深夜や休日にスタジオに集まってバンド活動に熱中して、息抜きしていました。また、音楽が趣味の取材相手と意気投合してセッションを楽しむこともあります。趣味や交友の幅は、確実に仕事の幅につながります。

職歴・キャリア

1996年4月:入社

同年:佐賀支局(県警、県政、農政)

1999年5月:久留米支局(市政)

2000年10月:福岡社会部(県警、県政)

2003年9月:政治部(首相官邸、自民党、財務省、外務省、参院選比例区判定班など)

2014年9月 さいたま総局次長

入社動機

人と話すこと、書くこと、新聞を読むことが小さいころから好きだったから。退屈とは無縁な仕事なんだろうなぁと。政治意識の高い両親にも影響されました。地方総局勤務は車ベースだと聞いて、混雑する通勤電車に乗らなくていいのも魅力でした。

オフの過ごし方

今は平日の朝のわずかな時間と週末しか「ママ」ができません。休日は、習い事に送り迎えしたり、動物園や公園に連れて行ったり、100%子どもに尽くしています!(といっても、子どもをおんぶして遊びながら原稿と格闘することも多いのですが) 子どもとの絆は「いっしょに過ごす時間の長さよりも質」、「両親が働く背中を見てなにかを学んでくれる」と信じて、仕事も子育てもがんばっています。

座右の銘・好きな言葉

「逃がした魚は大きくない」 「度胸と愛嬌」

新入部員にひとこと

入社面接などで多くの学生さんと接してきましたが、学生時代に重ねた「経験の厚み」は会話の端々からうかがえます。海外旅行、趣味、ボランティア活動でもなんでもいいので、「自分オンリー」の物語をたくさんつくっていただきたいです。

同じ仕事をする一日は二度とない。瞬発力と判断力、そして体力を研ぎ澄ませて備える

政治部での仕事:与党キャップとして取材チームをまとめる

政治部に来てちょうど10年。2013年9月から1年間与党キャップを務めました。政治部は主に首相官邸、与党、野党、霞(外務省)などのクラブに分かれて取材にあたります。このうち、自民党と公明党の取材を担当するのが「与党クラブ」。キャップとして、与党取材チーム8人のとりまとめ役を務めました。

各記者は「幹事長番」「町村派担当」など党幹部や派閥ごとに受け持ちを決めています。各記者の取材報告を受けたり、複数人でアイデアを出し合ったりしながら、出稿の方向性を決めます。日々の限られた紙面は、スペースの奪い合い。記事に込めた狙いをデスクにプレゼンし、いかに大きく紙面を確保するかが勝負です。特ダネや、記者独自の視点がきらりと光る記事で紙面を大きく飾ることができたときは、クラブに活気が出ますし、キャップとしてもうれしいです。電車の中で、前夜遅くまで格闘した新聞記事を読んでくださっている乗客の方を見ると、反応が気になってしまいます。他方、自分で記事を書く機会は減ってしまったので、署名記事を楽しみに新聞を読んでくれている田舎の祖母には申し訳ないんですけれど。

やりがいを感じたこと:地道な積み重ねを取材相手が受け止めてくれ、形にできたこと

政治部に配属されてから、常に取材現場にいたかというとそうではなく、子どもがまだ小さくて手がかかるころは、「裏方」的な仕事も多く経験しました。政治部の取材相手は、まず政治家。久々に取材現場に戻ってみたら、昔からの取材先の政治家が落選していたり、ほかの記者が担当になっていたりと、その時々の政治情勢に左右されることが多いです。選挙と同様、「水物」な仕事です。

そんなとき、ある重要な取材の手がかりを求めて、藁にもすがる思いで訪ねた旧知の政治家から、「このネタをあなたがとれなければ、『子どものいる女性記者は使えない』と言われるんだろう。あなたの努力が形として見えることが大事だ」と言っていただき、ネタをとることができたことがありました。番記者の仕事のほとんどは、政治家の言動を「定点観測」し、小さな変化にも目を凝らすという地道な努力の積み重ねです。それを取材相手が受け止めてくれて形にできたとき、それは政治記者冥利に尽きる瞬間です。

忘れられないこと:NYで起きた同時多発テロ事件を取材

20代後半、福岡社会部で福岡県警担当をしていた2001年に米NYで起きた同時多発テロ事件を取材したことです。もちろん、直接の担当だったわけではありません。事件の発生から数日たった午前3時すぎ、夜勤のため会社にいたわたしに、デスクから「安否不明の銀行員のご家族が、山口県から朝一番の便で成田空港に向かうことがわかった。同行して空港での様子を取材してくれ」との指示があったのです。自宅で2日分の着替えと身分証明書代わりのパスポートだけ取って福岡空港へ。その2日後、ダメもとで予約を入れていたNY行きの全日空便が再開第一便になり、「そのままNYへ飛んでくれ」。結局、約1カ月間、混乱の街を取材することになりました。家族を突然奪われたご遺族の痛切な思いに触れ、愛国心と祈りが交錯した街角を見て・・・忘れられない場面にたくさん触れました。もちろん県警担当の仕事もあり、NY支局から福岡県警のネタもとに電話取材して記事を書いたのも、今となってはよい思い出です。

記者の仕事の魅力は、「同じ仕事をする一日は二度とない」こと。日々、出会う相手、追いかける事象が変わります。だから、瞬発力と判断力、そして体力を研ぎ澄ませて備えておくのです。

仕事上のモットー:率直に感謝の気持ちを伝えること

「ごめんなさい」よりも、「ありがとう」「助かります」の言葉を伝えるようにしています。育児休業を取得する際、同僚記者に仕事のしわ寄せがいってしまうことからとても肩身の狭い気持ちでいたのですが、先輩記者から「権利を行使するのに、まわりの人に謝ってはだめ。あなたが謝ったら、むしろこれから育休をとる後輩男女が迷惑する。堂々と休みなさい」と言われたことが心に残っています。

政治記者の仕事は、個々の記者の取材努力はもちろんですが、チームワークに頼る部分も大きいです。紙面に掲載する前に、多面的な取材や判断を必要とするからです。昼夜を問わない政治部の仕事はきつい面も多いですが、ときの政権や政党をウォッチする政治記事の活きの良さが紙面の活気につながる、と思っています。「チーム政治部」として成果を出すために、同僚と呼吸を合わせることはとても重要。先輩記者のアドバイス以降、同僚記者に助けてもらったときは、率直に感謝の気持ちを伝えるようにしています。

現在の仕事:さいたま総局のデスクとして、日々、原稿と格闘

2014年9月から、さいたま総局次長(デスク)に。さいたまは総局17人、3支局12人の計29人を抱える首都圏総局の一角。埼玉発の記事の出稿責任者として、記者が書いた原稿をチェックしたり、企画の提案をしたりして、最適な形で記事を紙面に載せるための「判断」に日々追われています。

着任後、衆院選、統一地方選、知事選と3回の大型選挙があり、一方で小中学校へのエアコン設置を巡る住民投票や「育休退園」問題など、地域の民意に向き合う多くの機会を得ました。人情味あふれる街ダネにほろっとしたり、ひとたび事件が起きれば徹夜でパソコンに向かったり。記者時代とはひと味違うスリリングな日々です。2〜3日に一回は朝刊当番につき、午前1時過ぎまで原稿と格闘。目の疲れと、日中に歩くことが減って確実に体がなまってきているのが目下の悩みです。

これから:いつか「子連れ特派員」に

入社以来の希望は、海外勤務です。大学時代、フィリピンでNGO活動をしていたのですが、マニラ都市圏のゴミが集まる「スモーキーマウンテン」にいたとき、日本人男性を見かけて声をかけると、朝日新聞記者の名刺を持った特派員でした。「記者になれば、こんな場所まで取材に来れるんだ」。記者という仕事を初めて「実像」として感じられた瞬間でした。

入社してみると、まぁこれがなかなか希望通りにはうまくいかないのですが、時間に追われる仕事の合間に、できるだけ英字紙やウェブニュースに目を通して、思考が永田町的・近視眼的にならないよう努めています。いつか「子連れ特派員」になれる日が来るといいなぁ、と目標を定めつつ、日々の仕事をがんばっています。

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