先輩の声

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盛岡総局 杉村 和将 商学部卒 2009年入社

Profile

出身:高知県
祖母が住む高知県黒潮町の海は別格の美しさ。食べ物はおいしく、四万十川も近い。旅先に自信をもっておすすめします。

中・高・大のブカツ&サークル:
中学 / 陸上部
大学 / 空手部

ひとこと:空手部では生涯の仲間、尊敬する先輩に出会えました。自分よりはるかに強い人がいることを肌で感じることができたことも、かけがえのない体験でした。

職歴・キャリア

1998年4月:産経新聞社入社(大阪社会部など)

2009年9月:朝日新聞社入社・報道局 東京社会部(遊軍、警視庁方面担当、調査報道班)

2011年5月:報道局 北海道報道センター

2012年9月:報道局 岩手・大船渡駐在

2016年5月:いわき支局

入社動機

日本のメディアの中でとても影響力が大きく、その紙面で記事を書いてみたいと思ったからです。調査報道に力を入れ、数々のスクープを放っていた点にも魅力を感じました。どういう記者がどのような手法で取材をしているのか、率直に知りたいと思いましたし、自分も挑戦してみたいという気持ちもありました。

オフの過ごし方

趣味は将棋観戦、筋トレ。怪しいので屋外ではできませんが、ブルース・リーの影響を受けてヌンチャクもします。将棋はプロのタイトル戦があるたびに興奮しながら見ています。

座右の銘・好きな言葉

「運命は勇者に微笑む」
将棋の羽生善治さんの好きな言葉で、そのまま自分の好きな言葉にさせてもらっています。迷ったとき、守りに入るのではなく積極的な道を選ぶ。勝負の世界に生きる達人の心の中が見えるようで、力強さにひかれます。

新入部員にひとこと

関心を持ったテーマを追いかけ、書いた記事を多くの人に読んでもらうことができるのは、この仕事の醍醐味です。さまざまな分野のいろいろな人に出会うこともできます。学生のころ「新聞記者は3日やったらやめられなくなる」という言葉を聞いたことがありましたが、自分の経験からも、それはほんとうでした。

被災地の方々を取材するなかで、メディアの存在意義、使命感を呼び覚まされた

現在の仕事:復興に向けて歩む人たちを取材

東日本大震災の津波で被災した岩手県の沿岸で、復興に向けた歩みを取材しています。仮設住宅での暮らし、高台への移転や住宅再建、新しい街づくり…。たくさんのテーマがありますが、人の内面の変化に特に関心があります。家族を亡くした人がどんな思いでこれまでの時間を生きてきて、そしてこれから生きてこうとしているのか。そこで暮らす人たちの心の模様を伝えていければと思います。その意味では、被災地に住みながらじっくり時間をかけて取材をできるというのはとても恵まれた環境です。1000年に一度といわれる大災害ですから、その復興がどういう姿で進んでいくのかを現在進行形で見ることができるのも、記者の仕事の醍醐味だと思っています。月日がたつにつれて人々の中から震災の記憶が薄れつつあるのも事実ですが、そうした風化を少しでも防ぐためにも、伝え続けなければいけないと思います。

現在の心境:相手の気持ちを考えながら取材する難しさを実感

被災地ということもあり、言葉の難しさに直面しています。

赴任して間もないころ、陸前高田市内で気球を上げる催しがありました。高さ20メートルに上がった気球から被災した街を眺めることができるという復興イベントで、地元の子供たちがたくさん来ていました。子供たちに感想を聞いていたとき、ある男の子に「お父さんとお母さんどこ?」と聞いてしまったんです。なんとなく口にした言葉でした。ところが、その途端に男の子の表情が暗くなって、私の前から走り去りました。「あっ」と思いました。陸前高田では津波で亡くなったり、行方不明になったりした人は約1800人に上ります。家族や親戚、知人、友人…。住んでいる人たちのほぼ全員が、身近な人を失っている土地です。そんなことも想像できず、両親がいることが当たり前のことのように聞いてしまった自分が恥ずかしかったです。

他にも「がれきがなくなりましたね」と言うだけで怒りを買うこともあるんです。「なくなったんじゃない、みんなの努力で一生懸命なくしたんだ」と。相手の気持ちや立場を考えながら、想像力を最大限に働かせる。言葉の難しさを改めて痛感する日々です。

忘れられないこと:大槌町の避難所で・・・

2011年3月14日、岩手県大槌町の避難所で食事する人たち

やはり東日本大震災の経験です。東京の新宿で揺れに襲われ、翌日から岩手県に入りました。目の前の惨状が、それまでに取材したどんな事件や事故も比較にならないスケールで、これまでの経験や感覚がまったく働かなくなりました。何をどう取材して伝えればいいのか、わからなくなってしまったんです。しばらくして自分を取り戻すことができたのは、被災した人たちの「この現状を伝えてほしい」という言葉でした。震災直後の避難所は寒く、大きな余震もたびたびある過酷な環境でしたが、大槌町のある避難所を訪ねたとき、私に温かい味噌汁とおにぎりを持ってきてくれた女性がいました。遠慮しようとしたら、「遠くから取材に来てくれてありがとう」「私たちのこと伝えてくださいね」と笑顔で言われたんです。メディアの存在意義というか、使命感を呼び覚まされた言葉で、目が覚めました。時間はかかるかもしれないけれど、この人たちは必ず復興を成し遂げる。そう確信した瞬間でもありました。あの時のおにぎりと味噌汁の味は、今も忘れられません。

仕事上のモットー:「記事は足で書く」もの

「記事は足で書く」と心がけています。新人記者時代に先輩から言われたこの仕事の基本姿勢ですが、これまでにそれができていなかったと反省することも多いです。インターネットや資料を見ただけで分かったつもりになったり、人に会いに行かずに電話だけで済ませたり・・・。でもそれでは、埋もれた話を発掘することはできませんし、迫力のある記事を書くこともできません。感性が磨かれることもないでしょう。歩いて取材した内容が自分を裏切ることはないので、自信をもって仕事に臨むための絶対条件だと思っています。

これから:言葉の壁を越え、取材の領域を広げたい

海外で取材できなければいけないと強く思います。英語を話せないので、これまで自分の中で取材の領域を狭めてしまっていました。東日本大震災の被災地には外国の方々もボランティアなどでたくさん来ていますが、直接の会話が満足にできないことが悔しいです。英語で外国人にインタビューする。そんな自分をイメージしながら、毎日のリスニングなどで英語の習得を目指しています。

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