先輩の声

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国際報道部ヨハネスブルク支局 杉山 正 法学部法律学科卒 2000年入社

Profile

出身:神奈川県
神奈川県・横浜出身ですが、初任地の秋田に愛着があり、甲子園は秋田県代表を応援しています。秋田は人も自然もすばらしいです!

中・高・大のブカツ&サークル:
中学 / 陸上、サッカー

ひとこと:学生時代は麻雀ばかりやっていました。それも無駄な時間ではなかったと信じていますが、もっとちゃんと勉強をしておけばよかったかとも思っています。

職歴・キャリア

2000年4月:入社

同年:秋田総局、県警・市政、県政担当

2003年9月:横浜総局 県警担当

2005年4月:東京本社社会部 警視庁、GLOBE、宮内庁等を担当

2006年~:1年間フランス留学

2011年9月:国際報道部ナイロビ支局長

2013年10月:国際報道部ヨハネスブルク支局長

2014年9月:国際報道部員(東京在勤)

2014年度:ボーン・上田記念国際記者賞受賞

2016年5月:アメリカ総局員(ワシントン)

入社動機

朝日新聞社の入社面接でもっとも自然に話ができたことが大きいと思います。

オフの過ごし方

料理を結構します。和洋中、何でも作りますが、最近では麻婆豆腐のバリエーションを増やしています。アフリカ在勤の時は、なかなかおいしいラーメンが食べられない渇望感からラーメンのスープ作りをかなりしました。豚骨と鶏ガラを大量に買い、鍋で何日も煮込みました。しょうゆダレも、ウクライナ出張時に見つけた煮干し様のものを使うなどして作りました。今後は麺打ちに挑戦しようと思っています。

座右の銘・好きな言葉

大切だと思うのは「義理・人情、思いやり」

新入部員にひとこと

朝日新聞はみなさんが想像する以上にいろんなタイプの人がいます。非常に自由で、許容範囲の広い会社だと思います。

何が正しく、何が間違っているのか・・・信念を貫いた報道で、変わる未来もある

ヨハネスブル支局での仕事:取材対象に制限なし。アフリカ諸国のニュースを伝える

ソマリアで戦闘の前線

2014年までは、ヨハネスブルク支局長として、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国49カ国のニュースを担当していました。基本的に自分で取材したいテーマを決め、その現場を訪れます。政治、経済、社会、文化、スポーツなど取材のカテゴリーに制限はありません。訪れる場所は世界遺産の動物の楽園だったり、戦場であったりしました。取材相手も赤ちゃんから大統領と実に様々でした。

これまで取材で訪れた国は30カ国以上になります。パスポートは3年ほどで100ページ以上がスタンプで埋まりました。

現在の仕事:これまでの経験をいかしながら、世界で起きていることを記事に

2016年5月にアメリカ総局(ワシントン)に赴任しました。米国の中東、アフリカ、欧州への外交政策などを担当しております。世界で起きていることについて、米国を基軸にしてやや広く考察しながら記事を書くのが主な仕事です。

なかなか本当のことが分かりづらい世界ですが、今まで様々な現場で実際に見てきたこともいきていると思います。

印象に残っていること:虎穴に入らずんば虎児を得ず――マリにて

マリ北部ガオで、泊めてもらった民家から衛星を使って記事を送る

アルジェリアで日本人を含む多数の犠牲者を出した人質事件の首謀者の拠点が西アフリカ・マリ北部の街ガオにあるという情報から、現地に向かいました。首都から1千キロ、車で3日がかり。危険地は仏軍部隊の後を追い、たどり着きました。首謀者の拠点をメディアで初めて取材できたのですが、問題は帰路でした。ガオも長期滞在は危険な上、帰る軍部隊がない。途中にある数百キロの地雷原が最大の懸念でした。現地で会った英国人男性記者、中国メディアの米国人女性記者と話し、3台の車で先頭を交代して進むということで合意しました。まず私が敢えて先頭に。武装勢力は道路の陥没地に夜な夜な地雷を置くというので、穴を避けながら進む。車が穴を踏むと「んぅ」と声にならない声が出る。運転手に注意すると、穏和な彼も「黙って任してくれ!」。道路脇に地雷で吹き飛んだ黒こげの車が見える。1時間後に約束通り英記者が先頭を交代。だが、米記者が「うちの運転手が怯えて先頭に立てない」と突然言い出すハプニング。口論も詮無いので2台で先頭を交代しました。地雷原を越え、握手をした運転手の手は汗でびっしょり。

英記者とも健闘?をたたえ合う。そこからは日没を恐れた米記者が猛スピードで我々を置き去りにする漫画みたいなオマケも。虎穴に入らずんば虎児を得ず。ただ、リスクを冒すのが仕事ではありません。無事でなければ最悪の失敗です。道理を守りながら、安全確保策を思慮する日々でした。

仕事上のモットー:何事も決めつけてかからないこと

「これはこうしたものだ」「この人はこうだ」と善し悪しを含めて最初から決めつけないようにしています。元来、疑い深いのと天の邪鬼なところがあるせいです。次に、焦ったり、苛立ったりしないようにしています。海外では日本での常識が通じないこと、簡単と思えることでもうまくいかないことがたくさんあります。特にアフリカなどでは焦って取材すると、危ない目にあうことも多いです。苛立っても周囲に迷惑なだけです。入社以来、声を荒げたことは全くと言って良いほどありません。そして、言い訳を考えず、できるだけポジティブに、目的を決めたら落ち着いて遂行できる方法を考えるように心がけています。

報道記者としての使命:救急救命の現場で、命と向き合う人の声なき声を代弁する

最も忘れられない仕事は、入社2年目の秋田でのことです。市の救急救命士が、気管挿管という違法処置をしていた事件が表面化しました。心肺停止状態の人の気管にチューブを差し込んで直接酸素を吸入するという処置です。医師にしか許可されていない処置でした。私は、人の命を助けようとしているのだからいいのではないかと思いました。デスクに言うと「だったらそう書け」と。ただ、簡単ではありません。法律違反なのは明らかですし、他紙は様々な角度で救命士が「犯罪者」としていかに悪質だったかを書いてくるわけです。専門医や当事者、患者に取材を重ねました。世界的な潮流を調べれば、救命士がやるべき処置で、医師会等の政治的な反対で救命士の処置が限定されていると考えました。そして、「悩む救命士、違法覚悟で救われる命」という記事を書きました。続けて、除細動(電気ショック)器の利用も極端に制限されているおかしさなど、処置全体に話を広げました。この間、医学会からはシンポジウムの参加を拒否され、厚生労働省の担当者からは「違反を擁護するのか」「農民一揆」と散々でした。だが、1年も経たないうちに救命士の気管挿管は合法化に動き、除細動器の使用は一般市民にまで広がりました。「山が動いた」と救命士は涙ながらに私と握手をしました。協力してくれたある医学部の教授は「権威と言われるものは、ほとんどの場合、現実の裏付けなんてないのだ」と言っていました。

現在は、国際報道に携わっていますが、今後も、外国であれ、国内であれ、人の感情が伝わり、顔が見えてくるような記事を書いていきたいと思っています。

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