先輩の声

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科学医療部(医療) 辻 外記子 教養学部卒 2001年入社

Profile

出身:石川県
のんびり控えめ、まじめな人が多い印象。魚がおいしい。

中・高・大のブカツ&サークル:
中学 / ハンドボール
高校 / バスケットボール
大学 / テニス

ひとこと:体力がつきました。

職歴・キャリア

2001年10月:入社

同年:盛岡支局 遊軍、県警、県政担当

2004年4月:東京・生活部(後に医療グループ)医療担当、遊軍、厚生労働省担当など

2008年4月:広島総局 県政・医療担当

2010年1月:東京・編集局 医療グループ(現:科学医療部)医療担当

2013年4月:同 厚労省担当

2015年5月:広島総局 デスク

入社動機

ブロック紙で4年半記者をした後、朝日新聞社の社会人採用に応募しました。政策と人々のくらしを結びつけて論じる手法にひかれ、記者という仕事をきわめるには、朝日で記者をしたいと思ったのです。

オフの過ごし方

山登りや温泉巡りが趣味。通常の休日は、近所のスポーツクラブで気分転換。(写真は北アルプス「焼岳」の山頂付近で)

座右の銘・好きな言葉

「人生万事塞翁が馬」

新入部員にひとこと

記者は、やりがいがあり楽しい仕事です。思いがあればぜひ、挑戦してください!

予防と終末期医療をライフワークに人生の終わり方を考えるきっかけとなる記事を

科学医療部での仕事:厚労省の医療担当として、奮闘の毎日

真夜中の零時近くから、その記者会見は始まりました。2007年3月。インフルエンザ治療薬「タミフル」の10代への使用を控えるよう呼びかけるため、厚生労働省が緊急に開いたのです。多くの先輩記者らと共につくった記事は、翌日の朝刊の1面アタマになりました。

あれから6年。再び厚労省の担当になり、今、医療分野のキャップをしています。いつ、どんな大きなニュースが飛び込んでくるかわからず、気の抜けない日々です。

感染症やがん、生活習慣病などから国民を守るための政策や、医療・介護の将来の提供態勢など、幅広いテーマを扱います。日々開催される審議会などを傍聴しつつ、政治家や他の省庁の動きにも目を配り、記事にするタイミングをさぐります。技術の進歩や新たな研究の成果により、昨日までの常識がくつがえってしまうかもしれない。注意を払いながら、関係者から話を聞き、記事をつくる努力をしています。

他社に抜かれ、落ち込むこともしばしばです。ですが他の記者が気づかなかった話題を発掘し、記事にできたときは、うれしく感じます。

私の取材テーマ:「終末期医療 患者の意思・選択、支える態勢を」私の書いた記事を後押しする施策が

「人工呼吸器を知らない私たちでも判断できるような説明が、医師からほしかった」。がん末期の父が人工呼吸器をつけて亡くなった体験を持つ女性から届いたメールをもとに2004年、記事を書きました。

この頃はまだ、十分な情報がないまま、決断を迫られる家族が多かったものです。

私がこだわっているテーマの一つが「終末期医療」です。誰もが老い、いつか死を迎える。そのときどんな医療を望むか。どこで過ごしたいか。それぞれの思いがかなう社会に近づいてほしいと考えています。

12年には同僚とともに、延命治療に関する二つの調査をし、延命を控える選択が広がっていることがわかりました。一方、介護しやすいといった施設側の都合で、胃ろうをつけられているお年寄りがいる実態も浮きぼりになりました。その後も、本人の思いを支える国内外の先駆的な取り組みをおっています。大事なのは本人の思いをくみ取る仕組み。国の後押しがほしい。そう思っていた中、厚労省が来年度、終末期の相談員を病院に置くモデル事業を始めることがわかりました。大きな一歩だと喜んでいます。

現在の仕事:2度目の広島。デスクとして新たな刺激を受ける日々

記者になり、19年目となる2015年の春。デスクになった私は、2度目となる広島総局に着任しました。当番の日はほぼ1日中、総局で総局員の原稿をみて、問い合わせをして整えるといった作業をしています。他総局や社内の他部署の人との調整もします。

今のやりがいは、記者の皆さんの成長を日々、感じることでしょうか。広島県内には15年度時点で、1年目の記者が3人、2年目2人、3年目2人など、20代の若手記者が多くいます。みるみる記事がうまくなる記者、やりたいテーマをコツコツと追いかけかたちにしていくといった記者の様子から、自分がエネルギーをもらっています。

中堅やベテランの記者の皆さんも、経験や興味・関心が様々です。やりとりの中で、自分が詳しくない分野について学ぶ日々。「人生は常に精進」と感じ、ライターの頃とは少し違う、刺激を得ています。

忘れられないこと:駅の待合室の秘話を取材した記事がきっかけとなり、映画化された

映画のモデルになったおばちゃんこと、立花和子さん(左)と。試写会の後で

盛岡にいた頃、岩手県版に「一駅一話」という、駅にまつわるエピソードを記事にするコーナーがありました。先輩がある日、「面白い話があるようだから一緒に行こう」と声をかけてくれました。

酒屋のおばちゃんが待合室にノートを置き、訪れる旅人を癒やしていました。取材を進めると、自殺を思いとどまった青年がいるといいます。何度も書き直した記事は03年2月の夕刊に載り、それを読んだ東京の脚本家が映画にしたい、と岩手まで訪ねてきました。

富司純子さんと寺島しのぶさん母娘の共演という豪華キャストによる映画ができ、06年10月の夕刊には「駅の秘話、静かな共感 朝日新聞きっかけに映画化」という記事ものりました。

試写会に招いていただき、映画を見終えた時の思いを忘れることはできません。記事が媒介になり、出会いを生む。記者という仕事のすばらしさを実感しました。

仕事上のモットー:その場その場で、できることを、精いっぱいやる

2008年4月、東京の医療グループから広島総局に異動し、県政キャップという役割を与えられました。さらに上司は「県版で医療のページをやってみないか」と言います。ありがたい話ですが、土地勘も知り合いもゼロの地で可能なのか。県政だけでも重責なのに、不安でいっぱいでした。「できる範囲で」と自分に言い聞かせ、東京でチームの一員だった「医を創る」というシリーズの広島版を1人で始めました。

2週に1度が週1に拡大され、1年後の09年4月からは、中国地方5県共通のシリーズを任されるようになりました。各県の担当者という仲間を得て、08年の春には想像すらしなかったページを毎週、掲載できるようになったのです。その場その場で、できることを、精いっぱいやる。このことが次の仕事につながっていくのだと思います。

これから:ヒトと出会い、心揺さぶられるような話を伝えていく

医療の分野でいえば、予防と終末期医療をライフワークに、と考えています。

だれかに言われたからではなく、将来の自分がどうありたいのか、自分で注意すべき点に気づき、自分の体を自分で守る。食事に気をつけ、適度な運動を続ければ病になるリスクを減らすことができます。

人生の終わり方を自分の理想に近づけるにも、自分で考え、日頃から家族ら大切な人と話し合っておくことが大切です。自分の書いた記事によって、そうした人が一人でも増えることが目標です。

全般的には、記者としての醍醐味は、人物を紹介するヒトモノの記事を書くことだと思います。心が揺さぶられるような話を聞き出し、書き直しを重ね、その人の魅力を伝える。これから何人の「ヒト」をご紹介できるでしょうか。自分の健康にも気をつけて精進したいと思います。

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