先輩の声

一覧へ戻る

世論調査部 山下 剛 法学部卒 1999年入社

Profile

出身:長崎県
ミュージシャンのさだまさしと福山雅治、作家のカズオ・イシグロや吉田修一を輩出した偉大な県です。

中・高・大のブカツ&サークル:
中学 / バドミントン部
高校 / バドミントン部
大学 / 新聞部

ひとこと:大学時代、毎週、新聞を作っていました。取材をして記事を書くだけでなく、見出しを考えたり、レイアウトを決めたりするほか、広告営業、新聞販売など、あらゆる分野を経験できました。

職歴・キャリア

1999年8月:入社

同年:高知支局 高知県警、県政・市政を担当

2002年9月:京都支局 京都府警を担当

2004年9月:大阪本社社会部 市内班、大阪府警捜査1課などを担当

2008年4月:東京本社政治部 総理番、平河・与党クラブなどを担当

2013年9月:東京本社世論調査部

2016年より 地域報道部

入社動機

ごめんなさい。おぼえていません。

オフの過ごし方

ゴルフやスポーツジム、そして料理を楽しんでいます。

座右の銘・好きな言葉

「やられたら、やり返す。倍返しだ。」

新入部員にひとこと

朝日新聞社は古くさい、堅苦しいイメージかもしれないけれど、自由で、議論が盛んで、そのぶん賑やかで、思いの外、楽しい職場です。

事件・事故の担当記者から政治記者、そして世論調査。多様な角度から社会の真実を見つめていく

世論調査部での仕事:一歩引いて、日本社会が向かう先を明らかにする

世論調査を通じて、日本人の考えを探る――。記者は日々の動きを追いかけるものだけれど、世論調査部は一歩引いて、日本社会がどこに向かっているのか、電話、郵送、ネットなど各種世論調査を通じて、明らかにするのが仕事です。

例えば、選挙。2013年の参院選では自民党が圧勝し、衆参のねじれが解消されました。世論調査はそうした見通しを情勢調査を通じていち早く伝えるだけではなく、有権者にとって何が判断材料になっているのか、有権者がどういう思いを込めて一票を投じているのか、を明らかにしています。

世論調査部では、その実務を担っています。ディスカッションをして仮説を立て、質問をつくり、結果を分析。一つひとつの作業は地味で、地道な作業だけれど、調査から狙い通りの結果が浮かび上がってきたときは、なかなか爽快です。

現在の仕事:“なんでもあり”が、地域報道部の醍醐味

「霞が関に知恵はないよ。知恵はいま、市町村にあるんだよ」

地域報道部に異動したとき、長く行政取材に携わってきた先輩記者から、こう言われました。

霞が関の中央官庁は、景気停滞や人口減少など、いま日本が直面している課題を解決するための、有効な手だてを打ち出せていません。ただ、地方分権がすすんだいま、独自の政策を打ち出している市町村にこそ、課題解決のヒントがあるし、そうした市町村や人を取材することがいま、一番おもしろいはずだ、というのです。

 

先日、高知県大川村を訪ねました。人口400人。離島を除いて、日本で人口最少の村です。村ではいま、特産の地鶏による地域おこしに取り組んでいます。冬には凍結する、標高800メートルにある鶏舎で毎日、気温や鶏の体重などのデータを取りながら、飼育方法の改良を進めています。

この鶏を食べて、石破茂・前地方創生相も「うまい!」とうなったそうです。では、どうやって販路を拡大するか——。人口400人を守ろうと、一丸となって取り組み、知恵を絞る村長や議長らの話を聞きながら、先ほどの先輩記者の話を思い出しました。

 

地域報道部は、災害や事件・事故、地方自治、祭りなど、「地域」にかかわるものなら、なんでもあり。その醍醐味を、堪能しているところです。

忘れられないこと:1年間の被災地取材。現場の声を受けて行政が動く醍醐味を感じた

2011年3月11日。東日本大震災が起きたとき、当時、政治部にいた私は何もできませんでした。震災と原発事故とが重なって右往左往する当時の民主党政権を、ただ追いかけるだけ。震災や原発についての知識はなく、無力感でいっぱいでした。

2カ月後、盛岡総局に赴任。三陸沿岸にはがれきが重なり、新たに身元が判明した犠牲者の名前が毎日、紙面に載っていた時期のことでした。連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台になった三陸。生き残った人たちには、不思議な力強さがありました。半年が過ぎ、秋になると、少しずつ復興の鎚音が聞こえてくるように。住宅の高台移転、鉄道の再開、防潮堤をどうするか、といったまちづくりを議論しはじめた住民たち。予算の制約、縦割り行政の壁もあって、思い通りにいくことばかりではありません。でも、そうした動きを伝えたい、と心から思いました。

高台移転の第一歩を踏み出したのは、岩手県野田村という小さな、しかし、津波で甚大な被害を受けた村でした。最初に挑戦するものは、最初に課題にぶち当たります。村長から、制度の問題点を聞き、紙面で報じていきました。そうした現場の声を受けて行政が動く、という醍醐味も感じました。

震災1年の報道を終えて政治部に戻りましたが、そのときに一つだけ、決めたことがあります。もしまた震災が起きたら、絶対に取材に行く、ということを。

仕事上のモットー:取材相手の気持ちに寄り添うこと

入社4年目。京都府警を担当していた当時、殺人事件の被害者の遺族から、話を聴く機会がありました。最初は、記事へのクレームでした。事件現場への到着が早く、捜査状況についての取材も先行し、「原因は隣人トラブル」と書いたからでした。しかし、隣人トラブルが原因ならば、被害者にも落ち度があるようで、遺族にとってはやりきれない。被害者の妻は私と同年代で、赤ちゃんを抱きながら、そう訴えました。それ以来、記事を書くとき、「この記事、この表現によって、傷つく人はいないだろうか」と思い巡らします。

政治家など、取材相手に寄り添うだけではいけない場合もあります。それでも、取材の出発点はまず相手の気持ちに寄り添うことだ、と考えています。

他の先輩の声を見る

一覧へ戻る