Message 先輩メッセージ

現在の仕事
中東から欧州へ 記者としての時間、家族との時間

 2011年9月から約3年半エルサレム特派員、2015年1月から産休に入るまで約3年ローマ特派員を務めました。2020年4月に東京で復職しましたが、現在は家族の仕事の都合によりイタリアで自己充実休職中※です。
 このページを見ていただいている方には特派員志望も多いと思います。特派員の仕事は、危険地に入ることがあったり、時差の関係で仕事が深夜に及んだり、知力以上に体力が求められる面があります。一方、取材を通じて、紛争など大変な状況の中で負けずに生きようとする人間の底力を見ることができたり、同じ現場で取材する各国の特派員や地元ジャーナリストから刺激を受けたり、現地で生活することでその国の習慣や国民性に触れたり、内容の濃い日々を過ごすことができるのが魅力です。本当に得がたい経験をさせてもらいましたし、各地で知り合った友人たちとは、今でも連絡を取り合っています。

※自己充実休職制度について

印象に残っていること
ジャーナリスト仲間の言葉が心を刺激する

 「空爆の犠牲になった人の名前・年齢・境遇を書くようにしている」。2012年11月のイスラエル軍によるガザ空爆後に会ったパレスチナ人のジャーナリストが語った言葉です。何人が死亡という数字では、その人に普通の人生があったことを表せない。空爆、抗議活動、内戦などで何人が死亡という記事を書くことが増えていた頃、彼女の言葉に鈍くなっていた自分の感覚を呼び覚まされたようでした。以来、記事にすることができない場合でも、可能な限り犠牲者の詳細な情報を確認し、小さな衝突でも現場に足を運ぶように心がけました。

これから
自分らしく働く道を探して

 将来的には中東の全総支局の特派員を経験して、中東のスペシャリストになりたい、と思っていました。朝日新聞では女性の中東特派員は私が初めてだったので、ガラスの天井を突き破るぞ、くらいの意気込みでやってきました。まさか、イタリアで出産・育児を経験するとは思っていませんでしたし、コロナ禍で世界がここまで変わるとも予想していませんでした。再び立ち止まって、この先どのような働き方ができるのか、自分に最適なワーク・ライフ・バランスを探っていきたいと思っています。

MY CAREER HISTORY私のキャリアヒストリー

2004 / 04

和歌山総局 警察・高校野球・県政などを担当 [1年目]

 県政担当のとき、和歌山県発注工事をめぐる談合・汚職事件で、当時の知事が逮捕されました。取材の難しさにくじけそうになりましたが、権力を監視する報道の役割を深く考えるきっかけになりました。

2007 / 05

外報部 [4年目]

 先輩の仕事ぶりや経験談から、国際報道のいろはを学びました。久しぶりに使う英語に四苦八苦し、学生時代にもっと英語を頑張るべきだったと反省しました。

2007 / 09

政治部 担当:総理番、国会、自民党、民主党、外務省 [4年目]

 当時の安倍首相の辞任に始まり、短期間で首相が交代し、自民党から民主党への政権交代、東日本大震災、原発事故と大きな出来事が続いた頃。永田町と霞が関中心の取材で、もっと現場に出たいという思いが募りました。

2011 / 09

エルサレム支局 [8年目]

 念願が叶って中東特派員に。「アラブの春」、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの空爆、シリア内戦などを取材。危険な現場では、特に助手たちの安全をどう確保しつつ取材するかに頭を悩ませました。

ヨルダン・シリア難民キャンプ
エルサレム支局で
2015 / 01

ローマ支局 [12年目]

 欧州で広がるポピュリズム、難民問題、欧州で続いた過激派によるテロなどを取材。難民が立ち往生していたギリシャでは、スマートフォンを片手に情報収集し、衛星受信用のディッシュを改良してパンを焼く難民たちの姿に、人間の底力を見た思いでした。同僚の助けで、産休に入るまで仕事を続けました。

フィレンツェ
2017 /11

ローマで産休・育休 [14年目]

 ローマの病院で出産。スーパーで子どもが泣き出せば店員や客があやしてくれ、レストランでも親切にしてくれる、子どもファーストなイタリア文化にどっぷり浸かりました。

2020 / 04

東京で復職。国際報道部 [17年目]

 配偶者が育休をとり、家族で東京へ。コロナ禍で、子連れで在宅勤務をするという初めての経験をし、苦労しました。日本で暮らすのは9年ぶりで、完全に浦島太郎状態。いろいろなことが変わっていて、デジタル配信の方法など、若い同僚にいろいろ教えてもらいました。

入社動機

 1年間のエジプト留学から帰ったら、日本の就職活動のペースについていけず、大学院へ進学。修士課程の中頃に再び就職活動を始めたものの、就職氷河期で、文系大学院生を求める企業は少なかったです。いつかは中東で働きたいという思いもあり、特派員を目指してマスメディアを志望しました。朝日新聞はどんな経験も「個性」ととらえてくれる懐の深さがあり、仕事の自由度が高いことも決め手になりました。

エジプト留学中(大学3年)

オフの過ごし方

 料理が趣味。出張先で気に入った料理があると、本屋で料理本を購入し、スーパーでスパイスなどを手に入れ、後から自分で作ってみることも。人を集めて料理を振る舞うことも好きで、エルサレム時代は他の特派員から「シェフ」と呼ばれていました。コロナ禍で在宅している時間が長くなったこともあり、最近はガーデニングにはまっています。特派員のときは出張が多くていつも植物を枯らしていました。今は花だけですが、そのうち果物やハーブも育ててみたいと思っています。

ヨルダンにて

みなさんへのメッセージ

 就職活動をしていると、何の仕事がしたいのか、分からなくなることもあるでしょう。新聞記者はそういう人にこそ向いているのかもしれません。何しろ、毎日違う仕事が待っていて、日々たくさんの人に出会い、いろいろな世界をのぞくことができるのですから。仕事は、楽しくないことも多いですが、楽しいと思える何かを、マイペースに見つけていってください。

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