Message 先輩メッセージ

原発事故は防げなかったか
東京で福島で考え続ける

福地 慶太郎/ FUKUCHI KEITARO

所属部署科学みらい部

入社年 / 専攻2013年入社 / 発達科学部 人間行動学科卒

現在の仕事
廃炉や原子力政策を取材

科学医療部(当時)、福島総局、科学みらい部と異動しながら、東京電力福島第一原発の廃炉作業の状況や、原発事故で避難を余儀なくされた方々を取材してきました。取材しながら考えるのは、多くの人の人生を狂わせた原発事故をどうにかして防ぐことはできなかったのか、ということです。同時に、被災地が抱える問題を先送りせず、原発事故を二度と起こさない社会にしなければいけない、と強く思います。今は特に、原子力規制委員会による全国の原発の安全対策の審査や、原子力政策・研究開発などの取材をしています。

印象に残っている仕事
11年ぶりの帰還、光と影

2022年8月末、原発事故の避難指示が一部で解除され、約11年半ぶりに住民が帰還できるようになった福島県双葉町を取材しました。それでも町域の85%で避難指示が続き、町内の福島第一原発の廃炉作業は難航するなか、夏祭りようなイベントを企画した町民の方を取材しました。その方は「解除を手放しでは喜べない。でも、町の復興を前に進めてほしいから」と言いました。光と影が入りまじる町で、懸命に生きる人たちの思いに触れた気がして、報道する責任の重さを感じました。

写真はイベント企画者の宇名根良平さんと双葉ダルマさん

MY CAREER HISTORY私のキャリアヒストリー

2013 / 04

静岡総局 [1年目]

警察担当。赴任の3日後に浜松市で地すべりが発生し、約1週間、住民の避難生活や現場の状況を取材しました。7月には富士山が世界文化遺産に登録されたのに合わせ、地元のテレビ局記者と一緒に登山ルポを企画。登山用のリュックや靴を装備して挑むも、寒さと雨に襲われ、高山病に。山の怖さを知りました。写真は富士山が世界遺産になって初の山開きの日、富士宮口の新7合目から見えたご来光

 

2014 / 04

水戸総局 [2年目]

赴任してから半年間は高校野球を担当しました。夏の地方大会開幕前、地域面でサヨナラゲームをテーマに連載を書きました。試合のドラマ、勝者と敗者両方が試合後に歩んだ人生を書いたところ、読者から多くの反響をもらえました。この年の9月には鬼怒川が決壊し、大規模な浸水被害が発生。その後1年あまりにわたって復興をめざす姿を取材しました。

2017 / 04

科学医療部 [5年目]

東京本社の科学医療部に異動し、厚生労働省を担当しました。初めての本社勤務で大きな役所を担当することに不安はありましたが、仕事の基本は総局と変わりませんでした。総局時代に指導してくれた先輩方に感謝です。2018年からはゲノム編集や不妊治療などを担当。のちにノーベル化学賞を受賞する米国の研究者ジェニファー・ダウドナ氏にインタビューをしました。ダウドナ氏らが開発した遺伝子改変技術「ゲノム編集技術」がはらむ倫理的な課題についての質問にも丁寧に答える姿が印象的でした=写真。

 

  

2019年春から原子力規制委員会の担当になり、専門用語が多い審査会合の取材に苦しみました。宮城県の女川原発の再稼働に向けた主要な審査がちょうど終わる時期を取材。審査の内容にとどめず、宮城沖で大規模な地震が懸念されていることなどを報じました。

2020 / 04

福島総局 [8年目]

福島第一原発の廃炉作業、被曝医療、除染などについて取材にあたりました。着任して会社から支給されたのが、この個人線量計。累積の被曝線量を記録し、毎月上司に報告していました。

 

 

汚染水を処理した水の貯蔵タンクについて、国や東京電力は「増設は難しい」と説明していましたが、関係者への取材を進めると増設の余地があるとわかったため、記事にしました。記者が検証する大切さを感じました。

 

福島県内の除染で出た土を全国の道路工事や農地のかさ上げなどに「再利用」する国の方針について、全国の知事に賛否を聞きました。「賛成」の知事はおらず、理解が広がっていない実情を記事にしました。

2023 / 05

科学みらい部 [11年目]

再び原子力の担当に。

入社動機

朝日新聞の会社説明会で、ある社員の方が「マスコミ業界のなかで一番自由な会社」「自分のこだわりを追求できる」と話していたからです。実際に好きなテーマを追い続けている記者は多く、やりたいことができる会社だと思います。

オフの過ごし方

小学生の息子と公園で野球をしたり、一緒にプロ野球の観戦に行ったりしています。

みなさんへのメッセージ

入社試験はカメラマン志望で受けたのですが、記者で内定をもらいました。また、正直に言うと、就職活動を始めたときの第1志望は別の会社でした。それでもいまは、朝日新聞で記者ができて幸せです。私の地元、沖縄の方言には「なんくるないさ」という言葉があります。有名なフレーズですが、もともとは「まくとぅーそーけー(正しいことをすれば)なんくるないさ」が定型だったようです。就活も一生懸命やれば、自ずと納得できる仕事につけると思います。ぜひ、自分なりの答えを見つけてください。

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